オーシャンズ5月号 『名刺代わりの腕時計』

男というものは、程度の差はあれ、誰もが他人には理解しがたいこだわりを持っている。
乗り回すよりも修理に時間をかけるバイク、アタリを出すためにはいたまま浴槽でブラシをかけるデニム、週末に満足ゆくまで磨き上げる英国靴。家族やパートナーからはいっさい理解されなくても、そんな手のかかる行為に満足感を得る。手をかけた分、それが愛着となって宿る。そんなモノに価値感を抱くのが男だ。
ミュージシャンの故・加藤和彦氏のエッセイにこんな内容が紹介されていた。かつて英国紳士にとって新品のコートは気恥ずかしく、自らの体型に近い副執事などにまず着させ馴染ませてから着用したとか。
それは昔の話だとしても、加藤氏自身、サヴィル・ロウであつらえたビスポークのスーツをまず家の中で着用し、ときには着たまま眠り、ひたすら自分の形にしたという。何とも手のかかることこの上ないこだわりだが、それが彼のダンディズムにつながっていたのは間違いない。
腕時計の中にもそんな秘かな男の美学を漂わせるモデルがある。
例えば、ケース素材にブロンズを使ったもの。空気に触れて酸化することを利用して、深い色合いや艶に変わっていく経年変化が楽しめる。レトロテイストのカラーリングやデザインを纏った文字盤やインデックスの時計であれば、腕にした瞬間からずっと使い続けてきたように馴染むだろう。あるいはストラップの素材や味出し仕上げによってヴィンテージ感を演出する時計もある。
エイジングを重ねた雰囲気は、自分らしい、まさに世界にひとつだけのものであり、常に身に着けて過ごす時計に相応しい姿でもある。
アンティークのように決して時計自体に手がかかるわけではないが、それでも周囲には長年使い込まれた道具のような風合いとともに、持ち主のこだわりを強く印象づける。そしてそれは名刺代わりにもなることだろう。手のかかる男ほど記憶に残り、どこか心魅かれるからだ。